山本八幡宮(富士宮市)
山本八幡宮(やまもはちまんぐう)【富士宮市山本】
山本八幡宮は、山本勘助の生誕地といわれている富士宮市山本にある神社です。
山本勘助の曽祖父の吉野家初代貞倫が、大和国吉野郷からこの地に移住し、
多田八幡宮を創建し、その祠職となりました。
それが現在の山本八幡宮です。
祭神は、応神天皇ですが、多田満仲だとも言われています。
富士山本宮浅間大社(富士宮市)
富士山本宮浅間大社【富士宮市・国の史跡「富士山」に包括】
富士山を浅間大神として祀ったことを起源とする神社が浅間神社であり、富士山本宮浅間大社はその総本宮です。
社伝によれば、山宮から現在地に遷座されました。
9世紀ごろから信仰を集め、特に徳川家康の保護を受けて現在の社殿が造営されました。
また、家康の寄進をきっかけに富士山八合目以上を御神体として管理しています。
境内には富士山の湧水である「湧玉池」があり、かつては道者がここで登山前の水垢離を行いました。
所在地:静岡県富士宮市
安女の墓(富士宮市)
安女の墓【富士宮市】
山本勘助の母、安女の墓は山本家の本家である吉野家の墓所にあります。
昭和58(1983)年、吉野本家の墓所の整備をした時に、孤立していた母・安女の墓を吉野本家の墓城の中に移し、供養したものです。
摩利支天塚(富士宮市)
摩利支天塚(まりしてんづか)【富士宮市】
この塚は、沼久保小松原の佐野幸左衛門という人が「南無摩利支天」と唱えて巨石を運んで積んだことから『摩利支天塚』と称されているという内容が、正面石碑に記されています。
塚の石は、佐野幸左衛門が一人で集めたといわれており、大石も『南無摩利支天』と唱えると動いたということです。
地元ではこの塚を『石塚』と呼び、馬頭観音とともに大切に祀っています。
石碑の傍らには、馬の蹄鉄が奉納されています。
摩利支天は陽炎(かげろう)を神格化したもので、日本では中世以降に護身・蓄財などの神として信仰を集め、特に武士の間に摩利支天信仰がありました。
また、禅宗や日蓮宗でも護法善神として重視されています。
(OUTER NETWORK HPより抜粋)
山本勘助晴幸の生誕地(富士宮市)
山本勘助晴幸の生誕地【富士宮市】
山本勘助晴幸の生誕地にはいろいろな説がありますが、駿河を生まれとする説に拠れば、現在の富士宮市山本の吉野家に生れましたとされています。
父を吉野貞幸とい母は大橋氏です。
先祖は吉野冠者源重季で重季の子孫が南朝に仕え八代目の貞倫が山本村に移り多田八幡宮を創建し、貞久は軍学を修め長男貞宗、次男貞幸を設けました。
貞宗は子がなく貞幸の一子を養子としました。
貞幸は諸国を巡遊して参州牛窪に住し山本氏を称し同地の人大橋入道の女を娶り後に山本に住して一子を源助と名付けました。
後の山本勘助です。
源助は牛久保の大林助左衛門の養子となり名を勘助と改めましたが、後に大林氏を去り山本氏に戻り京都に出て専ら文武の両道を学び河内に入り楠公の遺跡を巡るなど軍学、築城の奥義を極めました。
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