水久保池(富士宮市)
水久保池(みずくぼいけ)【富士宮市青木地区】
水久保池は、水深5m、周囲634mのため池で、江戸時代の初期、水田の水不足に悩む農民の手によって造られました。
その後、長年にわたり青木地区の水田に水を供給してきましたが、大正12年の関東大震災により、水が貯まらなくなってしまいました。
昭和36年から43年にかけて、工事を行い再びため池として復活し、以後20年間にわたり水を貯めてきました。
老朽化により、昭和63年から平成5年に整備事業を行い、公園施設も加えて新装。
天気の良い日には『さかさ富士』が映し出されます。
愛好家の間では巨べら(巨大なへらぶな)スポットとしても有名な水久保池には、いくつかの釣り台が設置され、ヘラブナなどを狙う釣り人達が竿を垂れています。
周囲には、一周約15分の遊歩道があります。
(OUTER NETWORK HPより抜粋)
勘助坂(富士宮市)
勘助坂【富士宮市】
山本勘助が幼少時に遊んだとされる勘助坂は富士宮市山本にあります。
山本勘助の生誕地近くにある勘助坂は、地元の人が幼少時に勘助が遊んだとされる坂道であるという伝承から親しみを込めて呼ばれているようです。
安沼用水隧道(富士宮市)
安沼用水隧道(やすぬまようすいずいどう)
【富士宮市安居山、安居山隧道】芝川の水を、芝川町西山から安居山まで引き入れた安沼用水隧道は全長1550mの隧道で、安居山・沼久保地区を潤す用水として非常に重要な役割りを果たしてきました。
この用水は、1848〜1854年に領主旗本駒木根氏によって計画されましたが、安政の大地震によって遺棄。
1870年に静岡藩士門田退蔵と山川伊十郎によって再起されましたが、資金不足により再び中止。
1892年に安居山・沼久保・大中里の有志者が起工し、1895年にようやく隧道が貫通しました。
この隧道は、終端部の竹やぶの中に、命穴と呼ばれる2箇所の穴が貫通した当時のまま残っています。
この命穴は、安沼用水隧道の工事の安全対策として、隧道に平行して掘られた避難を目的とした通路です。
実際に、明治36年(1903)12月に水路の修理工事を行った際に、大地震による落盤事故が発生し、16人が生き埋めになりましたが、命穴により無事脱出することができたといわれています。
(静岡県・OUTER NETWORK HPより抜粋)
宗持院(富士宮市)
宗持院【富士宮市】
宗持院は、勘助の祖父貞久が長男の貞宗に家督を譲った後、勘助の父山本貞幸と共に移り住んだ居館近くにあり、勘助の父母と祖父貞久を祀ったお寺だったそうです。
宗持院は明治維新後の廃仏毀釈で廃寺となり、祀られていた勘助の父母の像や祖父の牌子は代信寺に還されました。
現在は石の宮神社と、簡単な案内表示があるのみです。
天照教本社(富士宮市)
天照教本社【静岡県富士宮市粟倉】
神道天照教は、島津久光、西郷隆盛など、歴史上の人物とも親交が深く、桜田門外の変にも関わった徳田寛豊が開祖となって建設されたもので、開設当時は信者数も数万人、旅館・風呂屋・豆腐屋などが軒を並べるほど栄えていたそうです。
現在は、四代目となる徳田賢一郎氏が神官を務めています。
天照教本社には、日本最大にして最古である『人魚のミイラ』が現存しています。
人魚と聞くと女性をイメージしますが、この人魚は、身長約170㎝、56歳の男性という人間からの変体であり、その由来は今から1300年前に遡ります。
真偽は別として、多くの書籍等でも取り上げられている非常に珍しいものです。
(OUTER NETWORK HPより抜粋)
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