信仰遺跡群(富士宮市)
信仰遺跡群(しんこういせきぐん)【富士宮市・国の史跡「富士山」に包括】
山頂には、火口壁に沿って神社等の宗教関連施設が分布しています。
富士山への登拝が開始されると、寺院の造営や仏像等の奉納が行われるようになり、山頂部における宗教行為が体系化されていきました。
山頂において「ご来光(日の出)」を拝むことや、頂部を巡る「お鉢めぐり」の行為は、現代においても多くの登山者が行っており、これらを通じて富士山信仰の核心が現代にも確実に受け継がれています。
所在地:静岡県・山梨県
(静岡県HPより抜粋)
月の輪遺跡群(富士宮市)
月の輪遺跡群(つきのわいせきぐん)【富士宮市星山・弥生時代後期後半のもの】
月の輪(つきのわ)遺跡群 市内で最も密集度の高い遺跡群である。市立黒田小学校南側に「月の輪上遺跡」(弥生時代後期後半)がある。その西側には「月の輪平遺跡」(古墳時代前期)と「月の輪下遺跡」(古墳時代前期)があったが、星山放水路開削工事などにより消失した。
人穴富士講遺跡(富士宮市)
人穴富士講遺跡(ひとあなふじこういせき)【富士宮市指定史跡】
静岡県富士宮市人穴にある富士講に関わる史跡群で、「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産に登録されています。
人穴は角行が16世紀から17世紀にかけて修行を行い、浅間大菩薩による啓示を得、また入滅した場だと伝わる。
『吾妻鏡』によると、「浅間大菩薩(浅間大神)の御在所」とみられていたという。
人穴の地は、角行が浄土としたために、富士講信者も聖地とするようになり、参詣や修行が行われた。
その信者の多くは吉田口登山道の利用者であり、吉田と人穴を結ぶ道として中道往還が利用されたと考えられている。
なお、富士講の衰退により、碑塔の建設は1964年以降は行われていない。
2013年(平成25年)6月22日 - 「富士山-信仰の対象と芸術の源泉」の構成資産の一部として世界文化遺産(日本の文化遺産としては13箇所目)に登録されました。
人穴浅間神社
全国にある浅間神社の一社。
(正式名は浅間神社)主祭神は富士山本宮浅間大社同様にコノハナノサクヤビメの他、藤原角行、徳川家康。
(Wikipediaより抜粋)
大鹿窪遺跡(富士宮市)
大鹿窪遺跡(おおしかくぼいせき)【縄文時代草創期の遺跡のひとつ、国指定史跡】
静岡県富士宮市にあり、国の史跡に指定されている。
この時代より古い遺跡は数多くあるが、定住集落跡の例としては、日本最古級であるとされている。
14基の竪穴状遺構が半円形に配置され、また集石遺構、配石遺構なども見つかっている。
遺物としては2万点以上の石器・土器が発見されています。
出土遺物は、縄文土器と石器を中心として26,000点に及ぶ。
土器は、押圧縄文系、隆線文系、爪形文系等の草創期の土器が主体を占め、出土石器は、石鏃、尖頭器、有舌尖頭器などの狩猟具や、植物利用に供された石皿、磨石、敲石などがあり、草創期を特徴づける矢柄研磨器も出土した。
(Wikipedia・文化遺産オンラインより抜粋)
千居遺跡(富士宮市)
千居遺跡(せんごいせき)【縄文時代成熟期(前期末から中期・後期前半まで)の遺跡のひとつ、国指定の史跡】
静岡県富士宮市にあり、 ストーンサークルが特徴の遺跡となっています。
本遺跡は富士山麓の末端部が丘陵状になった一つで、標高398メートル、北から南に延びる千居丘陵のほぼ中央部に位置しています。
昭和40年代に入って、地元高校の一部試掘により敷石が確認されました。
この遺跡の特徴である大規模なストーンサークルについては諸説がありますが、この地が富士山周辺の地域ということから富士信仰とのためとされています。
(Wikipediaより抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728