万野遺跡(富士市)
万野遺跡(まんのいせき)【富士市岩本・縄文時代】
縄文時代は土器を造ることを覚えた1万2千年ほど前に始まり、1万年もの長い間続いた時代です。
旧石器時代からの経験の積み重ねで家や土器が造られ、石器も改良したり、弓矢も落とし穴もつくりました。
富士市内の縄文時代の遺跡の分布は、岩本丘陵と富士山南西麓、愛鷹山の三つのグループに分けられます。
岩本山のグループは、富士宮市の星山丘陵から続く縄文時代遺跡群の南端に位置し、万野遺跡や念信園遺跡などが知られています。
(富士市立博物館HPより抜粋)
浅間古墳(富士市)
浅間古墳(せんげんこふん)【富士市増川・国指定史跡】
愛鷹山の南麓、駿河湾を一望する海抜53mの丘陵地にある前方後方墳。
内部は未発掘のため詳細は詳らかでないが、4世紀後半~5世紀初頭の築成と推定され、年代・規模から古代珠流河国の王墓と考えられている。
同型古墳は当地方において極めてめずらしく、昭和32年7月1日に国史跡に指定された。
全長103mで、後方部は幅61m×高さ11.8m、前方部は幅40m×高さ8m。
静岡県内でも最大級の大型古墳である。
全体が樹木で覆われており、墳丘上に名称由来の浅間神社が鎮座。
山寄りには幅10~15mほどの周溝痕跡があり、墳丘全面に河原石による葺石が施され、埴輪片も認められるという。
東坂古墳(富士市)
東坂古墳【富士市増川・古墳時代】
吉原工業高校が建設されたときに発見されて、調査が行われました。
長さ60mほどの前方後円墳で、鏡や玉、石で作られた腕輪など、この地域の豪族にふさわしい副葬品が発見されています。
この副葬品から5世紀の初めごろ造られた古墳であることがわかりました。
(富士じかんHPより 抜粋)
船久保遺跡(富士市)
船久保遺跡(ふなくぼいせき)【富士市今泉・奈良・平安時代】
奈良・平安時代は律令時代とも呼ばれる法律で国を治めた時代です。
大化の改新(645)で蘇我氏が滅びると社会のしくみは大きくかわりはじめました。
唐の政治や文化を取り入れて律令という法律によって国を治め、天皇を中心とした中央集権の国づくりがはじまりました。
大宝元年(701)に制定された大宝律令によって法治国家への第1歩をあゆみはじめました。
市内にはこの時代の遺跡は比較的多く、現在30遺跡が知られています。
この中には300軒近い住居跡や倉庫群を検出した伝法の東平遺跡をはじめ、鷹岡の川坂遺跡や天間代山遺跡、沢東A遺跡・沢東B遺跡、今泉の舟久保遺跡、原田の宇東川遺跡、増川の宮添遺跡、大渕の岩倉B遺跡、鈴川の三新田遺跡、柏原の柏原遺跡などがあげられます。
(富士市立博物館HPより抜粋)
琴平古墳(富士市)
琴平古墳【富士市中里・県指定史跡・古墳時代】
富士市中里にある琴平古墳、直径31mの円墳。
墳丘上には、名称の由来となった琴平社があります。
5世紀中葉ころに築かれたと見られており、薩捶峠以東の、所謂スルガ国の地域では、田子の浦一帯に神明塚古墳がある以外は、古墳時代中期の首長墳造営は不振です。
そのような状況の中、この大型円墳の存在は重要といえます。
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