宮添遺跡(富士市)
宮添遺跡(みやぞえいせき)【富士市増川・古墳/弥生/奈良・平安時代】
弥生時代の遺跡の多くは浮島沼周辺、恐らく現在の集落とほぼ同じ場所にあると考えられ、船津の寺の上遺跡や増川の宮添遺跡、原田の宇東川遺跡、富士岡の向山遺跡などが集落遺跡の可能性が高いと考えられています。
また富士市内で知られている奈良・平安時代の30遺跡のひとつでもあります。
(富士市立博物館HPより抜粋)
沖田遺跡(富士市)
沖田遺跡(おきたいせき)【富士市今泉・弥生時代】
沖田遺跡は、弥生時代後半(1800年程前)から浮島沼西岸(今泉沖田)で米づくりをして生活していた人々の跡です。
しかしこの遺跡は、地中深く埋まっていて調査を行うのが難しいのです。
おそらく浮島沼周辺には水田が広がり、少し高い場所にムラがあったはずです。
(富士じかんHPより 抜粋)
山王遺跡(富士市)
山王遺跡(さんのういせき)【富士市岩淵・縄文時代/弥生時代】
東名高速道路の下り線、富士川サービスエリアのところに山王遺跡があります。
この遺跡からは、縄文時代の終わりごろの土器と、この地方で最初の弥生土器が発見されました。
表面に貝殻で斜めに引っかいたような模様のつけられた土器で、現在の愛知県あたりで始まり、東の地方に広まったものです。
なお、これと同じ土器は富士宮市の渋沢遺跡でも発見されていますが、ともにまだ稲作が行なわれていた様子は見つかっていません。
(富士じかんHPより 抜粋)
浅間林遺跡(富士市)
浅間林遺跡(せんげんばやしいせき)【富士市北松野・縄文時代】
富士川の西岸に沿って北に向かうと北松野です。
その道筋に平らなところがありますが、そこから縄文土器がたくさん発見されました。
ここが浅間林遺跡(3500~3000年前)です。
ここの土器を観察すると東北地方の土器と同じ模様が見られます。
どうして遠くの土器と同じような模様があるのか、明らかになっていません。
(富士じかんHPより 抜粋)
矢川上C遺跡(富士市)
矢川上C遺跡(やがわうえCいせき)【富士市船津・旧石器時代】
市内で発見されている旧石器時代の遺跡は少なく、間門の峰山遺跡をはじめとして亀窪遺跡、鷹岡の天間沢遺跡、など9遺跡が知られています。このようにこの時代の遺跡のほとんどは愛鷹山南麓に集中して見られます。
近年第2東名高速道路の建設に伴う発掘調査で船津矢川上C遺跡などで当時の生活の後が発見されるようになりました。
(富士市立博物館HPより抜粋)
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