神山イザロ遺跡(御殿場市)
神山イザロ遺跡【御殿場市】
箱根山西麓や愛鷹山南麓には縄文草創期の遺跡が多く分布している。
多量の溶岩が噴出された三島溶岩(約11000年前、草創期)に代表されるように、富士山の活動が盛んな時代を縄文人はどのように生活していただろうか。
富士山東麓の富士黒土層(約8000〜5000年前)は腐植質の火山灰土で活動が静かな時期に形成されたもので、縄文早期から前期の土器文化を包含することが知られている。
小山町の沼子遺跡から早期の土器が、御殿場市の山の神遺跡、神山イザロ遺跡から縄文早期末の土器が出土している。
小山町の奥の沢遺跡、御殿場市東山の馬の背遺跡では、富士黒土層のすぐ上の縄文中期から晩期の地層から土器が出土している。
新橋浅間神社(御殿場市)
新橋浅間神社【御殿場市】
新橋浅間神社の創建は不詳ですが伝承によると応保元年(1162)、熊野衆徒の鈴木氏によって勧請されたとも、建久4年(1193)、源頼朝が富士の巻狩りの折、勧請されたとも云われています(境内には源頼朝が巻狩りの際、足をかけたと伝わる沓掛石があります)。
その後に神明・八幡神・天神・愛鷹大明神の4神が随時、勧請合祀され合計5神が祀られている事から五社浅間宮、又は、境内は御殿場口登山道の入口に位置していた事から「東表口参道宮」とも呼ばれました。
富士山信仰が盛んになるまでは小社で延宝8年(1680)に編纂された新橋村鏡差出長によると桁行2間3尺、梁間1間1尺、茅葺だったとされ享保18年(1733)の記録では勘兵衛を名乗る百姓が鍵の管理をしていたと記載されています。
その後は随時境内社が勧請され次第に境内が整備され若宮八幡宮、浅間宮、日月宮、足高宮、山神宮、子神宮、山祗命社、地神社、山王大権現、風神社などが設けられました。
明治時代初頭に発令された神仏分離令により仏式が廃され明治10年(1877)に境内社が合祀されています。
新橋浅間神社に伝わる神楽舞(獅子舞)、稚児舞は何れも富士山噴火の鎮護の為、奉納されたものでしたが、いつしか富士山修験者達が富士山登拝の際、奉納するようになり、現在も富士開山祭や秋の例祭に奉納されています。
祭神は木花咲耶姫命、瓊瓊杵尊、天照大神、誉田別命、菅原大神。
(静岡県:歴史・観光・見所より 抜粋)
六祖神社(御殿場市)
六祖神社【御殿場市古沢】
年貢の減免を命をかけて願い出て御殿場の古沢村を救った六人を祭る神社です。
なお、神社を新しくした際、処刑された六人の遺骨が地中の甕から出土したそうです。
一幣司浅間神社(御殿場市)
一幣司浅間神社【御殿場市】
一幣司浅間神社の創建は貞観5年(863)に勧請されたのが始まりと伝えられています。
貞観6年(864)に富士山が大噴火を起こし、当地方でも大きな災害となった為、浅間大神と同一神とされる木花開耶姫命の分霊を勧請合祀し、富士山噴火鎮護の祈願をしました。
天歴2年(984)には富士山東口一幣司の社号を賜わり、慶長11年(1606)の富士郡大宮浅間宮造営の際には駿東郡75社の社頭として大きな役割を担っています。
明治6年(1873)に郷社に列しています。
特殊神事として祈年祭には筒粥神事が執り行われ、その年の農作物の豊凶を占っています。
境内にある大スギは樹高38m、目通り幹囲6.5mの巨木で静岡県神社廰御神木審査委員会が指定する御神木となっています。
(静岡県:歴史・観光・見所より 抜粋)
馬の背遺跡(御殿場市)
馬の背遺跡【御殿場市】
御殿場市東山の馬の背遺跡では、富士黒土層のすぐ上の縄文中期から晩期の地層から土器が出土している。
箱根山西麓や愛鷹山南麓には縄文草創期の遺跡が多く分布している。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728