三嶽城跡(浜松市)
三嶽城跡(みたけじょうあと)【浜松市北区引佐町三岳城山・国指定史跡】昭和19年3月7日
標高467mの三岳山山頂を中心に東西700mにわたって築かれた山城です。
南北朝時代、南朝方に属していた井伊氏が、後醍醐天皇の皇子、宗良(むねよし・むねなが)親王を擁して北朝方に抵抗した拠点です。
桂山遺跡(浜松市)
桂山遺跡(かつらやまいせき)【浜松市天竜区水窪町奥領家・浜松市指定史跡】昭和55年8月6日
昭和41年に西浦桂山の森口義久家の前のなだらかな段丘地の畑を開田中、地層から2m位の下層の中から多数の土器が発見されました。
出土品はかなり細かく破損したものが多くありましたが、縄文時代中期(里木式、加曽利E式、咲畑式)から後期、晩期のものと思われる土器片がありました。
桂山は海抜650m余りの中腹で前に流れる翁川に沿って中腹の古道をたどれば青崩から信州に通じ南は長尾の宝平遺跡に続く山棲生活(自然採取、狩猟生活)の絶好の場所であったに違いありません。
この遺跡からはその他、平安時代の山茶碗や奈良時代の朱塗りのかけらも出土しています。
このように種山は長い時代にわたって人間の生活に最も暮らしよい条件を備えた地域でもあったと言えます。
(浜松市HPより 抜粋)
赤門上古墳(浜松市)
赤門上古墳(あかもんうえこふん)【浜松市浜北区内野・静岡県指定史跡】
築造は4世紀後半または末(古墳時代前期)と推定される。
誰の墓なのかは分かっていないが、ロケーションの良さや埋蔵品から有力な豪族のものと推定される。
古墳の名称は、古墳南側に位置する竜泉院(通称赤門寺)に由来する。
古墳の所在地は三方原台地の東端、姥ヶ谷段丘に位置し、古墳からは松林越しに浜北面と言われる低地、さらには天竜川の東に位置する磐田原台地を望むことができる。
赤門上古墳の南側、東側は竜泉院の裏山とされ、開発はされていない一方、古墳の北側、西側は内野台として宅地開発が行われた。
赤門山古墳の北東数百メートルの所には稲荷山古墳、山の上古墳(いずれも未発掘)が存在する。
その他にも周辺にはいくつかの古墳が残されており、染地台の開発と平行して調査が行われた。
(wikipediaより 抜粋)
蛭子森古墳(浜松市)
蛭子森古墳【浜松市東区豊町・浜松市指定史跡】
浜松市笠井地区に所在する浜松市指定史跡。
昭和34年、土取作業中、石室(せきしつ)の奥壁(おくへき)が発見され、同37年浜松市の史跡に指定され、出土品は浜松市博物館に保管されている。
(浜松市HPより 抜粋)
千頭峯城跡(浜松市)
千頭峯城跡〔浜松市三ヶ日町〕【浜松市北区三ヶ日町・県指定史跡】
摩訶耶寺(まかやじ)の北東に位置する通称センドウ山の山頂部に城跡が広がる。
南北朝時代、宗良(むねよし・むねなが)親王を迎え南朝軍が防備を固める際に、千頭峯城、鴨江城、大平(おいだいら)城、三嶽(みたけ)城が構築された。
現在は主郭周辺に堀切(ほりきり)や土塁跡が残る。
1981(昭和56)年3月16日に静岡県の文化財に指定されている。
(浜松情報BOOKより 抜粋】
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