木船廃寺跡(浜松市)
木船廃寺跡【浜松市東区和田町】
飛鳥時代から奈良時代にかけて(7世紀後半〜8世紀)壮麗な伽藍をほこった市内最古といわれる寺院跡が埋まっています。
木船廃寺は、単独で立地する寺院ではなく、長田郡(長上郡)の役所に付随する施設であったと思われます。
2010年の発掘調査で、大量の古代瓦が見つかり、「幻の寺」であった木船廃寺の位置が特定できました。
(浜松市HPより 抜粋)
光明山古墳(浜松市)
光明山古墳(こうみょうさんこふん)【浜松市天竜区山東・県指定史跡】昭和30年2月25日
光明山古墳は、全長82mの市内最大の前方後円墳で、出土した埴輪の破片から5世紀後半に築造されたと考えられます。
古墳の被葬者は明らかではありませんが、周辺一帯を支配していた勢力者であったと思われます。
南北にのびる尾根を切断し、その土を盛土に使い、自然地形をうまく利用した築造方法をとります。
(浜松市HPより 抜粋)
大菩薩坂(浜松市)
大菩薩坂【浜松市東区有玉西町】
本坂通(ほんざかどうり)にかかる字藤坂(うとうざか)の北側にある、平野から三方原大地に上る勾配の強い坂道。
元亀3年(1572)12月、武田信玄が大軍を率いて三方原合戦に臨んだとき、天竜川を渡河し平野を横切り、欠下城(かけしたじょう)跡南側の大菩薩坂を上り、大菩薩山に陣を構えたといわれています。
(浜松市HPより 抜粋)
青崩峠(浜松市)
東大山一里塚(ひがしおおやまいちりづか)【浜松市西区大山町・北区三方原町・浜松市指定史跡】昭和38年7月11日
東海道の脇街道である本坂通(通称姫街道)に設けられた一里塚です。
一里塚とは、距離の目安として一里(約4km)ごとに街道に築いたもので、榎(えのき)や松などが植えられました。
(浜松市HPより 抜粋)
笹ケ瀬隕石(浜松市)
笹ケ瀬隕石【浜松市東区篠ヶ瀬町】
増福寺の西に江戸時代に落下した隕石が伝わっている。
隕石は拳ほどの大きさで1950年まで玉薬師如来(たまやくしにょらい)として本堂に安置されていたが、現在は浜松市科学館で公開されている。
(浜松市HPより 抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728