静岡史跡名跡案内
問屋場(三島市)
問屋場(といやば) 宿場があった時代には、現在の三島市役所中央町別館のところに問屋場がありました。 幕府の役人や大名および旅人の荷物を運ぶために、いつも人足と馬を用意していました。 三島宿は、初めの...[ つづきを読む ]
御鷹部屋(三島市)
御鷹部屋(おたかべや) 徳川家康が三島へ鷹狩りに何度か訪れた影響を受け、第三代将軍家光は元和9年(1623)御鷹部屋を二宮町(現、三島市芝本町)へ建てました。 そこは、現在の浅間神社、長圓寺付近であ...[ つづきを読む ]
首切り松(三島市)
首切り松(小浜山刑場供養碑) 三島宿のはずれ(現、三島市JR三島駅構内)に小浜山刑場があり、首切り松といわれた松の大木がありました。 韮山代官所から検視役人が来て、罪人は宿中を引き回しの上、竹矢来に...[ つづきを読む ]
さらし首場(三島市)
さらし首場(さらしくびば) 「市中引き回しの上、獄門申し付ける」。 江戸時代には見せしめのため、重罪人を後ろ手にしばり馬に乗せて宿中を引き回しの上、水上(現、一番町)の茶屋に寄り本人の望みの酒食をと...[ つづきを読む ]
見付(三島市)
見付(みつけ) 見付はもとは城門のことで、通行人を見張ることから起こった名称です。 宿場の出入り口にあって宿内の見通しを防ぐ施設でもありました。 夜間は扉を閉ざし通行人を止めるのが普通で、三島市内の...[ つづきを読む ]
三島宿(三島市)
三島宿(みしましゅく) 三島市は古くから伊豆の中心地として栄え、三嶋明神の門前町として大変なにぎわいを見せていました。 慶長6年(1601)徳川家康は宿駅制度を作り、最終的には東海道に53の宿駅を...[ つづきを読む ]
市ケ原廃寺(三島市)
大興寺跡(市ケ原廃寺)いちがはらはいじ 三島市の三嶋大社南。 同大社に関係の深い丈部富賀満の私寺として白鳳時代に建立されたという。 平安時代の国分尼寺焼失後、836年に代用国分尼寺となった。 その規模...[ つづきを読む ]
錦田一里塚(三島市)
錦田一里塚(にしきだいちりづか) 江戸幕府(徳川家康)は、慶長9年(1604)主要街道に並木を植えるとともに一里塚を設置しました。 目的は大名の参勤交代や旅人の通行の便、馬や駕籠の賃銭の目安、旅人の...[ つづきを読む ]
伊豆国分寺・国分尼寺(三島市)
伊豆国分寺跡(いずこくぶんじあと)【国指定史跡】 国分寺は奈良時代に聖武天皇の勅願(注)によって、国ごとに設置された国立の寺院です。 国分寺には僧寺と尼寺の2つがあります。 僧寺の正式名称は「金...[ つづきを読む ]
夏梅木古墳群(三島市)
夏梅木古墳公園(なつめぎこふんぐん) 平成2年(1990)、錦が丘団地造成に伴う発掘調査によって発見された古墳(古代の有力者の墓)の1つで、今から1,400年ほど前の古墳時代の終わりころに造られたも...[ つづきを読む ]
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728