北條寺(伊豆の国市)
北條寺【伊豆の国市】
北條寺は、伊豆の国市南江間にある臨済宗建長寺派の寺院。
鎌倉幕府二代執権北条義時の創建と伝えられている。
義時は北条時政の子で江間小四郎と称していた。
境内には、北条義時夫妻の墓がある。
本尊は、源頼朝が源氏再興を祈願したという「木造観世音菩薩坐像」(県重文)。
その他、運慶作と伝わる「木造阿弥陀如来坐像」、義時の姉北条政子の寄進と伝わる「牡丹鳥獣文繍帳」(県重文)がある。
江川邸(伊豆の国市)
江川邸(えがわてい)【伊豆の国市・国指定史跡】
江川邸は、元小田原北条氏の家臣で、江戸時代には韮山代官となってこの地を治めた江川氏の屋敷である。
江川氏の遠祖宇野氏は、清和源氏の流れを汲む大和の武士であったが、保元の乱に敗れて伊豆韮山の地に移住したと言われている。
現在国の重要文化財となり、一般に公開されている。
鎌倉・室町時代より続くと言われる主屋の屋根裏には、親交のあった日蓮の直筆棟札が掲げられている。
その霊験もあってか、豊臣軍の韮山城攻撃の際にも主屋や裏門は残り、特に裏門の門扉には、当時の攻防の際の鉄砲や鏃の跡が残っていると言う。
守山八幡宮(伊豆の国市)
守山八幡宮【伊豆の国市】
北条氏ゆかりの願成就院の後方、守山の中腹にある守山八幡宮は、647年(大化3年)、大山祗神を祭神として創建され、907年(延喜7年)、宇佐八幡宮の八幡神が勧請され合祀された。
古代、守山八幡宮の建つ北条郷と狩野川の反対側の江間郷は一つの郷で、狩野川を越えた大男山(雄徳山) 山頂に総鎮守があった。
しかし、狩野川の流れが変わり、両郷を分断してしまったため、北条郷は守山の地に遷座し祀ったのだといわれている。
その後、八幡神が合祀され守山八幡と称されるようになった。
七つ石(伊豆の国市)
七つ石【伊豆の国市】
静岡県伊豆の国市奈古谷(以前の田方郡韮山町奈古谷)、県道136号線から
伸びる林道奈古谷線に、七つ石とよばれる石が点在しています。
ここは県道側の山のふもとに国清寺や奈古谷観音堂、林道途中には毘沙門堂と
平安末期の文覚上人や頼朝ゆかりの史跡など、古い時代の香りが漂ってます。
源頼朝挙兵の碑(伊豆の国市)
源頼朝挙兵の碑【伊豆の国市】
源頼朝治承四年(一一 八〇)八月十五日守山八 幡宮に平家追討を祈願して挙兵。
夜陰、源氏重忠の軍兵数十騎、山木判官平兼隆を襲い討つ。
其の間、頼朝遥かに山木館の火煙を望み悲願の達成を悦ぶ
蓋 し鎌倉幕府草創の礎はここに於て成ると。
故に記して建碑の所以とする。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728