蛭ヶ小島配流地(伊豆の国市)
蛭ヶ小島配流地【伊豆の国市】
蛭ヶ小島は、平治の乱後に源頼朝が配流された地である。
1160年、平治の乱で源氏の棟梁源義朝は敗死し、その子でまだ14歳の青年であった兵衛佐頼朝は、池禅尼の助命嘆願によって平清盛に一命を救われ、伊豆蛭ヶ小島に配流となった。
それから1177年に北条政子と結ばれるまでの17年間を、頼朝はこの地で過ごした。
そして1180年に旗揚げし、平家の目代山木兼隆を攻め滅ぼした後、石橋山で大庭景親率いる頼朝討伐軍を戦いを交えた。
その経緯は、石橋山古戦場の項に記載する。
この後、再起した頼朝は鎌倉に幕府を開き、日本史上初めての武家政権を樹立するのである。