最明寺(伊豆の国市)
最明寺【伊豆の国市】
伊豆長岡にある最明寺には、鎌倉幕府五代執権北条時頼の遺骨が分骨されているという。
『吾妻鏡』によれば、赤痢を患っていた北条時頼は、1256年(康元元年)11月22日、執権職を辞任。
翌日最明寺(鎌倉の寺)で蘭渓道隆を戒師として出家し、「最明寺入道」と呼ばれるようになる。
それから7年後の1263年(弘長3年)11月22日、最明寺の北の屋敷で37歳で亡くなった。
『吾妻鏡』には、 坐禅をくみながら臨終をむかえたたことが記されている。
最明寺:静岡県伊豆の国市長岡1150