龍華院大猷院霊屋(掛川市)
龍華院大猷院霊屋【掛川市掛川】
明暦2年(1656年)、嗣子のない掛川城主北条氏重が三代将軍家光の霊を祀り、家の存続を願ったといわれる三間四方の方型造りの霊廟です。
文政5年(1822年)に掛川城主太田資始により再建され、現在、県の有形文化財に指定されています。
秋には見事な紅葉が満喫できる隠れた穴場となっています。
(掛川市HPより 抜粋)
尾上菊五郎(おのえきくごろう)の墓(掛川市)
尾上菊五郎(おのえきくごろう)の墓【掛川市】
掛川市中央の真宗大谷派 福田山 広楽寺(廣樂寺)には、歌舞伎役者 三代目尾上菊五郎の墓があります。
江戸時代の嘉永2年(1849年)4月24日、三代目尾上菊五郎は興行のため滞在していた掛川宿 中町の捻金屋治右衛門方で病死しました。
初代が江戸の広楽寺の檀家だったので、妻が同じ名前の広楽寺に葬儀を依頼。
江戸の広楽寺がこちらの長男が創建した分寺だと知り、墓を掛川の広楽寺に建立しました。
平将門十九首塚(掛川市)
平将門十九首塚【掛川市十九首】
天慶3年(940年)、藤原秀郷が平将門一門19名を討伐してその首を弔った塚と伝えられており、昔は19基あったものが時代と共に減ってゆき、将門のものと思われる大きな1基だけが残されたといわれています。
その後、将門の首塚を取り囲むようにして18基の首塚が新しく作り直されました。
地元では首塚を町の守り神として、彼岸と命日にあたる8月15日に供養祭が行われています。
(掛川市HPより 抜粋)
宮脇古墳群(掛川市)
宮脇古墳群【掛川市】
掛川市宮脇の宮脇古墳群は、古墳時代中期に築かれた円墳6基で構成されます。
宮脇古墳群のあった丘陵の大部分は、削平され住宅地になりました。
1、2、4、5号墳は消滅。
遠江塚(掛川市)
遠江塚【掛川市下俣】
慶長8年(1603年)、徳川家康の異父弟である掛川城主松平隠岐守定勝の長子遠江守定吉を供養するために築かれた塚です。
塚は古墳時代中期頃に造られた権現古墳の墳丘を利用したもので、上に五輪塔がすえられています。
また、掛川の真如寺には定吉の霊廟が建てられています。
定勝が描かせたという定吉の肖像画も残されており、県の文化財に指定されています。
19歳の若さで切腹した原因についてはさまざまですが、定吉の弓自慢に対し家康が叱咤したという一説があります。
(掛川市HPより 抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728