問屋場(三島市)
問屋場(といやば)
宿場があった時代には、現在の三島市役所中央町別館のところに問屋場がありました。
幕府の役人や大名および旅人の荷物を運ぶために、いつも人足と馬を用意していました。
三島宿は、初めのころ、人足36人、馬36頭の常備を義務づけられましたが、その後100人100頭、200人200頭の時代もありました。
三島宿を通行する人や馬の数は大変多く、夜明け前から夜遅くまでにぎわいました。
大名行列が早立ちともなれば、問屋場は目の回るほどの忙しさでした。
大名行列のたびに、問屋場の役人は交代で送り迎えをしたり、本陣宿泊中は警備をしたりと、体がいくつあっても足りないぐらいでした。
また、通信の仕事をする飛脚人足もいました。
これらの仕事の管理を行った場所が問屋場と呼ばれ、宿場の中心的役割を担いました。
問屋、年寄、名主という宿三役により運営されており、運輸、宿泊の仕事を問屋と年寄で、年貢の取り立てなどの仕事を名主が行っていました。