箱根宿(三島市)
箱根宿(はこねしゅく)
箱根宿は小田原から4里8町(約17km)(注)、三島から3里28町(約15km)の地点にある山上の宿場で、元和 4年(1618)の成立と伝えられています。
この宿場は2町1宿の構成で、住民も三島宿と小田原宿から各50戸を移住させ、三島からの移住者が定着した場所を三島町と称しました。
問屋場の構成は(問屋場は三島町、小田原町に各1カ所)問屋役、年寄、帳付役などとなっており、このほか伝馬人足100人は三島宿で負担していました。
また、関所の経営は幕府直轄で、関所役人はすべて小田原藩士によって構成されていました。
三島宿に定住する男女が、旅行以外の目的で小田原領へ行くには、往路復路とも手形を要しなかったそうです。
その代わり三島の旧跡として伝えられる「七石七木七原八小路」の長い名称を、関所役人の前で述べ立てて通過を許されました。
このような特典は、かつて三島宿が箱根宿の成立に寄与したという先人の偉功を認める関所役人が、長い間に積み重ねていった慣わしを踏襲していたものと思われます。
(注) 1里は36町で約3.9km、1町は60間で約109m
→三島宿
出典『史話と伝説 伊豆・箱根』P.628