下田街道(三島市)
下田街道(しもだかいどう)
三嶋大社の大鳥居を起点として大場・韮山・大仁・修善寺・湯ヶ島を通って下田に至る、ちょうど伊豆半島の真ん中を通る17里14町(約70km)の道が下田街道。
この道は、江戸時代中期までは天城街道とも呼ばれていました。
下田街道は、源頼朝が三嶋大社の修復に併(あわ)せて文治2年(1186)に作ったと伝えられています。
頼朝が源氏再興を祈って三嶋大社に百日祈願のため韮山三島間を往復したので、街道筋には頼朝にまつわる伝承地(妻塚・間眠神社・手無地蔵など)が多く見られます。
江戸時代に入ると、韮山に設けられた代官所への往復、南伊豆や伊豆七島の人たちの「明神講」(注)を組んでの三嶋大社詣りに利用されました。
幕末には、異国船の下田接近以来この街道の重要性が、江戸幕府に認識されることになりました。
明治時代になり馬車が走ったりしましたが、大正時代にはバスが取って代わり現在も運行しています。(現在の旧下田街道)
旧下田街道が一番にぎわいを見せたのは、明治時代でした。
商人たちが行き交い、物と人との重要な交流道路になりました。
三嶋大社周辺の街道沿いには大きな問屋が集中して建ち、銀行もできました。
(注)神社、仏閣への参詣や奉加、寄進などをする目的でつくられた信者の団体。
→ 妻塚、間眠神社、手無地蔵、三嶋大社
出典『ふるさと三島』P.124、『三島小誌』P.56、『伊豆史談』、三島市HP