祇園山隧道(三島市)
祇園山隧道(ぎおんやまずいどう)【三島市加茂川町】
祇園山腹を掘り抜いて沢地川から水を取り入れ、祇園原へ水を通した延長248mの隧道をいいます。
現在、この隧道は使われておらず、昭和38年(1963)よりそのすぐ北、新幹線の土手のコンクリート打ちしたトンネルが使われています。
三嶋大社の神主矢田部盛治は、米が農産物の主力であった時代に、祇園原一帯は水がなく畑地であったので、これを水田化して米を作りたいとする農民の願いを、民生安定の道であると考え、私財を投じて建設したのがこの祇園原用水です。
安政地震(安政元年(1854))の復旧という難事業の中にありながら盛治は、まず手始めに壱町田の畑の水田化を考え、並木杉の大木、目通り(注)7尺(2.1m)の中をくりぬいて、総延長103間半(188m)の木の樋(とい)を作り、沢地川の水を引き、安政2年(1855)水田化に成功しました。
この経験をふまえて慶応4年(明治元年(1868))、祇園山腹にトンネルを掘り抜き、沢地川の水を祇園原に引く計画を告げ、尻ごみする地主、農民を説得して工事に着手し、沢地川取水口から掘割546m、トンネル248m、総工費859両5朱2貫530文(約6,500万円)の私財を投じて明治4年(1871)完成し、総計15町歩(14.9ha)の水田化を成し遂げ、生産増強と民生向上に尽くしました。
(注)目の高さの直径
出典 『三島市誌 下巻』 P.905、『ふるさと三島』P.97、『ふるさとのしおり みしま』P.245