巨勢伊予守館(長泉町)
巨勢伊予守館(こせいよのかみかん)【駿東郡長泉町】
駿東郡長泉町上土狩字東通
駿河志料に今川氏家臣巨勢(古瀬村)伊予守が居住していたとされる館
駿河志料に今川氏家臣巨勢(古瀬村)伊予守が居住していたとする。
居館は長泉上土狩南端の、南へ延び微高地上、小字東通りにあり、通称「ヨーガフチ」という久保田川を東にひかえている。
方200mの区域が該当すると思われるが、遺構その他は殆んど不明である。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)
庚申堂(長泉町)
庚申堂【駿東郡長泉町】
江戸時代後期に俳諧が盛んになり、一般の民衆も親しんだ。
庚申堂 (長泉町 本宿)には、安政六年(1856)俳句十九句が、「春詠」の題で、杉板に墨書きされ(俳額)奉納されている。
(.freeml.より 抜粋)
高橋屋敷(長泉町)
高橋屋敷【駿東郡長泉町】
別名:竹原土豪屋敷
駿東郡長泉町竹原字西海道
足利尊氏の政所侍として当地に土着したとされる高橋氏の屋敷
伝承によれば、高橋氏は足利尊氏が建武元年(1334)三島神社に、土加利郷(土狩)のうち田畑四町歩を寄進した時、その政所侍としてこの地に土着したという。
この屋敷は東海道新幹線三島操車場南方500mの、黄瀬川扇状地上の微高地、小字西海道に位置し、東側に久保川が流れる。
明治11年(1878)竹原村絵図によると、方70mの土塁と水路をめぐらした主郭を中心に、同様状の方50mの郭を北西側に3郭、南側に1郭接続している、連郭状の屋敷となっている。
現在は東海道線と新道によって主郭部は消滅し、土塁の一部が残存するだけとなっている。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)
願掛八幡宮(長泉町)
願掛八幡宮【駿東郡長泉町】
八幡神社(願掛八幡神社) 駿東郡長泉町下土狩481
社格 : 旧村社
祭神 : 誉田別命 (応神天皇)
創建 : 不明
灯篭 (左側) : 寛永拾九年
灯篭 (右側) : 明治十四年
八幡神社銘碑 : 昭和十年十月一日
(.freeml.より 抜粋)
窪の湧水(長泉町)
窪の湧水【駿東郡長泉町】
長泉町の竹原にある「窪の湧水」と呼ばれる泉は安政の大地震によって崩れた崖から富士山の地下水が湧き出たものです。
水路に見える丸い土管は昔の取水口の跡で製紙会社が取水のために使っていたものです。
(しずおかたいむHPより 抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728