子ノ神(ねのかみ)古墳(沼津市)
子ノ神古墳(ねのかみこふん)【沼津市西沢田】
本古墳は、西沢田の子ノ神神社境内にあります。
・前方後円墳 墳長48m ・出土:伝石室
測量調査は行われましたが未発掘で詳細不明。
市内の3基の前方後円墳のうち最も新しい古墳時代後期前半の築造と推定されています。
(埼群古墳館HPより 抜粋)
妙蓮寺所在石棺/下香貫古墳群(宮原古墳群)(沼津市)
下香貫古墳群(宮原古墳群)【沼津市下香貫】
本石棺は、下香貫の妙蓮寺境内にあります。
近くの楊原神社付近で発掘(現地案内板では下香貫古墳群、市HPでは宮原古墳群と呼称)され、楊原小学校に保管されていたが現在は妙蓮寺墓地に安置されています。
(埼群古墳館HPより 抜粋)
興国寺城跡(沼津市)
興国寺城跡(こうこくじじょうあと)【沼津市根古屋・国指定史跡】
興国寺城(こうこくじじょう、根古屋城とも)は、静岡県沼津市にある日本の城(平山城)跡で、国の史跡に指定されている。
正確な築城年は不明だが文明年間(1469年 - 1487年)には築城されていたと推定される。
文献上の初出は、『北条五代記』における長享元年(1487年)である。
この年、室町幕府官僚であり今川氏の客将であった伊勢新九郎盛時(北条早雲)が、今川氏の家督争いでの活躍によりこの城を与えられた。
盛時は、この後再び室町幕府官僚として京を中心に活動していたので、常在はしていない。
その後盛時は、幕府管領・細川政元の足利義澄の将軍擁立と連動して伊豆に侵入し、伊豆国を治めていた堀越公方の子、足利茶々丸を将軍足利義澄の母と弟の仇として討つという大義名分のもとに滅ぼし、伊豆国の領主となって韮山城に移った。
(wikipediaより 抜粋)
東原古墳(沼津市)
東原古墳【沼津市東原】
本古墳は、東原の宝珠院境内に復元されています。
・円墳 径18m
・出土品:横穴式石室・直刀・玉類・鉄鏃・須恵器
(埼群古墳館HPより 抜粋)
休場遺跡(沼津市)
休場遺跡(やすみばいせき)【沼津市宮本・足高】
本遺跡は、愛鷹山中腹の一尾根上にあり、標高約280メートルで南に駿河湾・伊豆半島を臨む。
尾根頂部は幅約60メートルで平坦地となっており、両側を比高10メートル以上の急な沢にはさまれている。
休場遺跡が明治大学等により発掘調査されたのは昭和39年のことで、多量の細石刃・細石刃核及び2か所の石囲の炉が発見され、以来、日本の細石器文化の代表的な遺跡として著名となった。
石器は現地表よりおよそ2メートル下の古期富士降下火砕層及びその上層の富士黒土層に含まれているが、石囲炉が古期富士降下火砕層の上部に埋没しており、その水準がほぼかつての生活面を示すものと思われる。
(文化遺産オンラインより 抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728