三明寺経塚(沼津市)
三明寺経塚(さんみょうじきょうづか)【沼津市】
三明寺経塚は、沼津にあった5つの経塚の一つで、その規模が大きいことで有名である。
享保19年(1734)2月8日、暴風のため倒れた老松の下から偶然発見された。
掘り出された経筒は三明寺に、外筒容器は村人にわたり、これが散失するのを憂えた地元の飯田基良老人が同年7月11日に再び埋納した。
発見及び再埋納の経緯は、塚の上に残る石碑、白隠筆の由来書、白隠の語録である『荊叢毒蘂』に記されている。
その後、200年を経て、昭和15年(1940)静岡県史編纂に伴う発掘調査が行われた。
内部には、中央に銅板製経筒の納められた外筒容器6口があり、それを囲むように40近い外筒容器が並べられていた。
発掘された経筒6口のうち、4口には篭字の印刻銘があり、そのすべてに「建久七年」(1196)の年号が見られる、これらのことより、平安時代の後半から末法思想の影響を受けて盛んになった如法経信仰(如法経・・・・・・法式どおり経典を清浄に造写することや、その経典をさし、また、それを安置・埋納する供養をさす。
)に基づき、鎌倉時代初頭に百部の写経を行い、これらを埋納するために造営されたものであることが明らかである。
(沼津市HPより 抜粋)