三枚橋城跡(沼津市)
三枚橋城跡(さんまいばしじょうあと)【沼津市三枚橋】
天正8年(1580年)9月14日、武田氏の支配する三枚橋城を北条氏政軍が攻撃し、武田氏が勝利。
武田勝頼は、西の安倍川へ徳川家康軍を追っていて留守で、翌日に帰城しています。
四ツ塚古墳群(沼津市)
四ツ塚古墳群【沼津市宮本】
駿河湾を間近に望む狭い尾根上に分布する群集墳。
公園として整備公開されている。
29基が確認されており古墳時代後期の築造と推定されている。
神明塚古墳(沼津市)
神明塚古墳(しんめいづかこふん)【沼津市松長・市指定史跡】
古墳時代中期後半(5世紀後半)、海岸近くの砂丘堤上(標高12.7m)に築かれた前方後円墳です。
全長54m、後円部直径35m、後円部高さ5m、西向きの前方部幅24m、前方部高さ5mの規模。
南側の一部には幅8mの周溝があり、葺石(ふきいし)・埴輪は無し。
土器片などが出土しており、主体部(埋葬施設)は箱形木棺の周縁のみ厚さ0.3〜0.5mの粘土で覆った、推定長さ6m、幅2.8mの粘土槨(ねんどかく)だったと推定されています。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイドHPより 抜粋)
千本浜古戦場(沼津市)
千本浜古戦場
千本浜古戦場は、戦国時代末期の北条・武田両軍の激戦の地である。
小田原の北条氏政と甲斐の武田勝頼は、越後上杉氏の内乱「御館の乱」を巡って対立関係となり、駿豆国境地域の支配を巡って激しく争った。
特に戸倉城と三枚橋城を拠点に両軍は厳しく攻防を繰り返し、1580年9月には千本浜で両軍による激戦が展開された。
近代に入った後の明治33年、暴風雨で倒れた松の大木の下から、たくさんの頭蓋骨が発見され、千本浜合戦の戦死者のものと言い伝えられてきた。
昭和29年に、人骨研究の権威鈴木尚東大教授の調査によって、当時のものと確認されたと言う。
10代後半の若者の骨が多く、頭蓋骨の数と刀傷の深さから戦いの激しさが伺われたと、現地解説板に記載されている。
千本浜古戦場には、明治期の発見時に骨を集めて弔った首塚が築かれ、現在でも本光寺の脇に残っている。
塚には大きく立派な石碑が建ち、往時の歴史を留めている。
高尾山古墳(沼津市)
高尾山古墳(たかおさんこふん)【沼津市東熊堂・辻畑古墳から改称】
静岡県沼津市東熊堂の高尾山古墳(辻畑古墳から改称)は、古墳時代前期に築かれた前方後方墳です。
周溝からは、古墳時代前期初頭(西暦230年頃)の東海西部(愛知県?)の土器(高杯、器台)が出土。
主体部(埋葬部)の棺上で出土した土器は、古墳時代前期(西暦250年頃)のもの。
古墳時代前期初頭に造られた、東日本最古級の前方後方墳である可能性があります。
この地域の首長が埋葬された墓だと考えられる、沼津市内最大(墳丘長約62m)の古墳です。
主体部からは、木棺の一部である板状の木片、副葬品の青銅鏡「上方作系浮彫式獣帯鏡」(じょうほうさくけいふちょうじゅうたいきょう)1面、槍(やり)2点、鉄鏃(てつぞく)33点、ヤリガンナ1点、勾玉1点が見つかりました。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイドHP より抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728