八幡神社(清水町)
八幡神社【駿東郡清水町】
八幡区の南西端、黄瀬川方面から見て一段高くなった微高地の先端に鎮座しています。
主神を応神天皇とし、比売神・神功皇后を祭っています。
創建年代については不明ですが、治承4年(1180)、源頼朝が富士川の合戦時にこの地に陣を置きこの時勧請したもの、または湯川の小河泉水神社に鎮座していた八幡神社をここに遷座したものなど様々な説があります。
社宝には徳川家康奉納太刀等多くの寄進があり、将軍家・大名からの信仰が厚かったことが伺えます。
(清水町HPより 抜粋)
対面石(清水町)
対面石【駿東郡清水町】
八幡神社境内北隅には頼朝と弟義経が対面した時に腰掛けたといわれる対面石があります。
もとは現在地より北の国道沿いにありました。
ここには幹も種もねじれている『ねじり柿』と呼ばれる柿の木が2本あり、ここにあった館を双柿館と呼んでいたそうです。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
矢崎遺跡(清水町)
矢崎遺跡(やざきいせき)【駿東郡清水町】
徳倉本城山の北側、狩野川が西へ迂曲する南側河岸段丘上一体に広がる面積六万平方メートルの遺跡です。
昭和5年の発見以来多くの研究者により調査されました。
その結果弥生時代中期を中心とした土器、石斧、石錘、銅鏃、銅釧、住居跡が発見され、県東部を代表する弥生時代の集落遺跡であることが判明しました。
また、最も深い土層からは縄文時代終末頃の土器が発見され、町内の歴史を溯る最も古い資料が得られました。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
丸池(清水町)
丸池【駿東郡清水町】
町の東境を流れる境川に沿って丸い形をした湧水池が玉川地区にあります。
この池を丸池または、玉川池と呼んでいます。
この池はかなり古くから存在していたようで、その名は戦国時代の古文書にも見られます。
池の水は堂庭、久米田、戸田、畑中、的場の各地区に灌漑用水として古くから利用されています。
池の中央には歴史を刻む石碑が建てられ、これによると文政8年(1825)池の管理権をめぐって、池のある玉川村(当時)と用水の下流にあたる堂庭、湯川、久米田、戸田、畑中、的場の6ヶ村(泉六箇村)との間で水争いがありました。
玉川村の池に対する勝手な振る舞いにたまりかねた泉六箇村の人々は、戸田村名主安右衛門と湯川村名主清兵衛を代表にして、江戸の奉行所へ訴えでました。
しかし奉行所の取り調べは厳しく、解決しないまま2人は江戸で客死してしまいました。
事件はその後和解しましたが、泉六箇村の人々は2人の命をなげうった行為に対し、永くその名をとどめるため、姓名をとった古安、平清神社を建て祀りました。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
戸倉城・太鼓櫓 (清水町)
戸倉城・太鼓櫓(とくらじょう・たいこやぐら)【駿東郡清水町】
戸倉山から北東方面に延びた丘陵の先端部、通称本城山に築かれた戸倉城。
北方向は沼津から小田原へと至る東海道、東方向は修善寺方面への物資の補給路である狩野川や街道を望むことができ、これらを監視する役目を担っていました。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)
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