東海道松並木(清水町)
東海道松並木【駿東郡清水町】
慶長9年(1604)、江戸幕府により主要な街道沿いに植えられたとされる松の木。
当時の東海道を偲ぶことのできる数少ない史跡です。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
出城山(清水町)
出城山(てしろやま)【駿東郡清水町】
北条盛衰記によれば、天正9年(1581)戸倉城が武田氏の手に移ったことに依り、大平新城を守るため、ここに出城を備えたとする。
天正9年から天正10年にかけて、北条氏と武田氏がここで数度の戦闘を交えている。
本城は徳倉山山頂より大きく東方へ派出した狭長な半島状の尾根が、狩野川によって断ち切られる上徳倉小字出(テ)城(シロ)山(ヤマ)にあり、ここは徳倉と沼津大平地区の境目で、また戸倉城と大平新城のちょうど中間に位置する。
標高35m、周辺よりの比高30mある。
城域は東西200m、幅は脚部を入れて50mの極めて狭長な城で、尾根頂部稜線上に数段の平場と、空堀切が1ケ所ある。
西側の一段高い秋葉神社は見張台であったと考えられる。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)
十王堂(清水町)
十王堂【駿東郡清水町】
下徳倉の県道沿いに十王堂があります。
ここは地区の人々の寄り合い場所としても使われますが、ここの祭壇には中央に地蔵菩薩を安置する厨子があり、その両側に五体づつ木造の十王像が安置されています。
十王とは冥界で死者の罪業を裁く10人の裁判官のことで、その10人とは泰広王、初江王、宋帝王、五官王、閻魔王、変成王、太山王、平等王、都市王、五道転輪王です。
この思想は平安時代に中国から伝わり、鎌倉時代に大流行し、江戸になると各村々の閻魔堂に像が祀られるようになりました。
十王像はふつう中国宋時代の裁判官の服を着て方形の冠を付け、叱咤する厳しい顔に作られますが、ここの像はとても愛嬌のあるやさしいお顔に見えます。
これは、もともと本城山の南裾にあった法久寺に祀ってあった像ですが、この寺が廃寺になったため地元の住民がここに移し祀りました。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
湯川砦 (清水町)
湯川砦(かわとりで)【駿東郡清水町】
・駿東郡清水町湯川字辻ノ前
「清水町史 通史編」によると北条氏政が戸倉城攻めの際に設けた陣所である可能性が高いとしています。
参考 静岡県の中世城館跡、 清水町史/通史編
宝池寺一里塚(清水町)
宝池寺一里塚【駿東郡清水町】
慶長9年(1604)江戸幕府は、主要な街道沿いに江戸日本橋を起点として1里ごとの道程標識として一里塚を作りました。
五間四方の土地に半球状に十尺の土盛をし、頂上に榎などの木を植えたものが標準形とされています。
町内には2つあり、東海道を挟み伏見玉井寺と宝池寺の前に一対をなしています。
宝池寺側のものは昭和60年に作った冬至と同じ寸法で復元されたものですが、玉井寺側の一里塚は樹木におおわれているもので、作られた当初のものといわれています。
これらは、江戸から29里目にあたり、また、宝池寺境内には立場と呼ばれた茶屋があり道ゆく旅人に湯茶のサービスをしていたといわれています。
この一里塚は長沢に残る東海道松並木とともに昔の東海道を偲ぶことができる史跡です。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728