恵ケ後・谷口遺跡(清水町)
恵ケ後・谷口遺跡(えがうしろ・たいぐちいせき)【駿東郡清水町】
清水町伏見の恵ケ後・谷口遺跡で、弥生時代後期から古墳時代前期(200〜250年ごろ)に造成されたとみられる大溝が見つかり恵ケ後・谷口遺跡は清水町の国道1号伏見インターチェンジから北に約500mの住宅地にあります。
伏見古墳群(清水町)
伏見古墳群【駿東郡清水町】
国道1号バイパスとJR東海道本線の交わる地点のやや東に位置します。
この辺りは昔から地元耕作者の間で塚があることが知られており、畑に石室の一部が露出していました。
昭和40年代、道路及びガス工事のため2度にわたり6基の古墳が調査され、結果、いずれも古墳時代終末の横穴式石室をもつ小円墳であることがわかりました。
副葬品として土師器が出土しました。
また5号墳からは奈良、平安時代に鋳造された銅銭である神功開宝と隆平永宝が見つかっています。
一度葬った後、別の人を葬る追葬の跡も見られ、奈良・平安時代まで墓として使用していたことがわかります。
被葬者はこの辺りを支配した有力者であろうと思われます。
現在4号墳のみ石室が保存整備され見ることができます。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
龍泉寺(清水町)
龍泉寺【駿東郡清水町】
静岡県駿東郡清水町徳倉の本城山の麓に位置する寺で、かつて戸倉城の城主の館があったとされる。
赤石地蔵(清水町)
赤石地蔵【駿東郡清水町】
伏見久保川のほとりにある小さな祠に赤石地蔵は祀られています。
昔伏見の集落がこの辺りにあったころ、一人の旅僧が民家に一夜の宿を頼みました。
その夜どうしたことか、僧はにわかに疫を病み、腹痛と下痢に苦しみ出しました。
村人は手厚く看病しましたが、数日後とうとう亡くなってしまいました。
僧は忌の際に「私が死んだらこの赤石のほとりに葬ってくれ。
誓って疫病から村人を守仏となろう。
」と遺言を残しました。
村人は哀れみ、僧の遺言どおり手厚く葬り赤石で地蔵を彫りました。
その後いつのまにかこの地蔵を削り粉にして飲むと疫病下痢に効くという迷信が生まれ、削り取って行く人が後を断たず、ついに地蔵は石ころとなってしまいました。
そこで村人は文政8年(1825)新たに地蔵を刻み、赤石地蔵の石塊は台座の中に納めました。
現在も7月23日は祭日でお供えや掃除が行われ、人々の信仰が受け継がれています。
(清水町観光協会HPより 抜粋)
常夜燈(清水町)
常夜燈【駿東郡清水町】
江戸時代末期の1846年に、村人たちが防災を願い旧東海道に建立されたとされる。
浜町の常夜燈 ー文政10年(1827年)建立ーは、現存日本最古の常夜灯(青森県野辺地町)。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728