愛宕山城(静岡市葵区)
愛宕山城【静岡市葵区】
静岡県静岡市葵区沓谷城山の愛宕山には、愛宕山城(愛宕砦、茶臼山砦、長沼塁とも呼ばれる)があります。
愛宕山城は、鎌倉時代の初期に御家人・長沼五郎宗政が築いたとされています。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
宝台院(静岡市葵区)
宝台院(ほうだいいん)【静岡市葵区】
静岡市葵区の常磐町にある宝台院は、金米山宝台院と号し、浄土宗に属する寺院です。
宝台院は、永正4年(1507)、観誉祐崇(かんよゆうそう)上人によって市内の柚木に創建され、龍泉寺と称したのが始まりです。
のちに紺屋町に移りました。
天正17年(1589)、二代将軍秀忠の母・西郷局(さいごうのつぼね)が没すると当寺に葬られました。
寛永5年(1628)、秀忠は母の菩提を弔うため寺を現在の場所(常磐町)に移し、その時に寺号も龍泉寺から宝台院と改称しました。
以来、宝台院と呼ばれるようになりました。
寺には徳川家康の持仏であったという木造阿弥陀如来立像(国・重要文化財)、家康公の自画像(市・重要文化財)などがあり、境内には西郷局之墓(市・重要文化財)やキリシタン灯篭が残っています。
長沼古城(長沼砦)(静岡市葵区)
長沼古城(長沼砦)【静岡市葵区】
長沼古城(長沼砦)は、鎌倉時代に長沼五郎宗政の居城であった場所です。
愛宕山城のすぐ東側の茶臼山で、現在は愛宕霊園になっています。
山頂の東西に2〜3段の曲輪と、西側の愛宕砦との間に堀切が設けられていたと推測されます。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
賤機山城(静岡市葵区)
賤機山城(しずはたやまじょう)【静岡市葵区】
静岡市葵区の賤機山城(しずはたやまじょう)は、珍しい穴倉式本曲輪が特長の山城です。
南北朝時代(14世紀)に北朝方の今川氏が、安倍城を拠点とする南朝方の狩野氏に備えて築城したと考えられています。
戦国時代の永禄11年(1568年)12月、甲斐(山梨県)の戦国大名 武田信玄が今川氏の領土である駿河(静岡県中部)に侵攻。
同年12月13日、武田信玄が今川氏の賤機山城を攻略。
天正10年(1582年)3月に徳川家康が駿府に入り、武田氏の賤機山城を攻め落としました。
その後、戦略的価値が無くなった賤機山城は廃城になりました。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
賤機山古墳(静岡市葵区)
賤機山古墳(しずはたやまこふん)【静岡市葵区・国指定史跡】
賤機山古墳(しずはたやまこふん)は、静岡平野の中心部に突き出た賤機山の南端に造られています。
当初は、標高約50m、比高差約30mの尾根上で、ここからは静岡平野を一望することができます。
賤機山古墳は、古くからその存在が知られ、江戸時代の文献にも発見の経緯等が記されています。
『駿河国志』(天明三年)、『駿河記』(文政元年)などがその主なもので、「明和年間に古墳の上の大木が大風により倒れ、根の下に穴が開いたため中に下りたところ石積みの部屋(=石室)があり、中に石櫃(=石棺)が置かれている」ことが記載されています。
(静岡市HPより 抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728