薩摩土手(権現様堤)(静岡市葵区)
薩摩土手(権現様堤)【静岡市葵区】
静岡市は、徳川家康の駿府城が築かれた場所です。
薩摩土手(権現様堤)と呼ばれる安倍川の旧堤防は、江戸時代の慶長11年(1606年)頃の徳川家康の駿府城拡張工事に伴う城下町の整備で、薩摩藩が中心となって妙見山の下に築かれました。
初代薩摩藩主 島津忠恒(しまづただつね)は、堤防建設に必要な石材・木材を清水湊まで150艘の船で運んでいます。
堤防の規模は、全長約4.4km、高さ約5.4m、基底部21.6m、上面幅約10.8m。
現在の堤防は西側にあり、薩摩土手は開発で削られ一部を残すのみです。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
谷津山古墳群(静岡市葵区)
谷津山古墳群(やつやまこふんぐん)【静岡市葵区】
静岡市葵区の谷津山古墳群は、谷津山の尾根にある前方後円墳2基と円墳2基で構成されています。
山頂(標高108.1m)の谷津山古墳(谷津山1号墳、柚木山神古墳(ゆのきやまのかみこふん))は、古墳時代前期(4世紀)に築かれた県内最大級の前方後円墳です。
全長約110m、後円部径70m、後円部高さ約9m、前方部は西南西向き、前方部幅45m、前方部高さ約8m。
廬原国(いおはらのくに)の首長墓だと、考えられています。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
梶原塚(静岡市葵区)
梶原塚【静岡市葵区】
梶原塚は、鎌倉幕府創業の功臣梶原景時終焉の地である。
景時の事績については梶原景時館の項に記載する。
1199年、2代将軍頼家の時、鎌倉の御家人衆から弾劾されて鎌倉を追放された景時は、翌年1月再起を期して一族を率い上洛の途に就いた。
しかし清美ヶ関付近で鎌倉の命を受けた駿河の武士達に発見されて合戦となった。
一族家臣33人は死力を尽くして戦ったが次第に討ち取られ、最後を覚悟した景時とその子景季、景高の3人は、牛ヶ谷の山(現在の梶原山)の山頂を目指して登っていった。
そして、湧き水で顔を洗い、喉を潤し、鬢のほつれを直して身を整え、山頂で自害して果てたと言う。
牧ヶ谷古墳群(静岡市葵区)
牧ヶ谷古墳群(まきがやこふんぐん)【静岡市葵区】
静岡市葵区牧ヶ谷の牧ヶ谷古墳群は、臨済宗妙心寺派 牧ヶ谷山 耕雲寺周辺の丘陵上に築かれた古墳5基で構成されています。
古墳時代後期から終末期(6世紀末から7世紀中頃)の、主体部(埋葬施設)に横穴式石室を有する古墳です。
墳丘は、開墾などで失われ未確認。
1〜4号墳の石室内には、地元産の石灰岩の板状礫で作られた、組合式箱形石棺(くみあわせしきはこがたせっかん)が納められていました。
土器(須恵器、土師器)、金銅装大刀、鍔、鉄鏃、刀子、馬具、金銅製耳環などの副葬品が出土。
耕雲寺裏古墳群(こううんじうらこふんぐん)とも呼ばれます。
大歳御祖神社 本殿(静岡市葵区)
大歳御祖神社 本殿(おおとしみおやじんじゃ ほんでん)【葵区宮ヶ崎町】
静岡県静岡市にある。
静岡駅の北西2Kmほどの宮ケ崎町に鎮座。
境内入口は、東側と南側にあり、
東の入口正面に、浅間・神部神社、南の入口正面には大歳御祖神社。
浅間・神部・大歳御祖神社の三社をあわせて、
通称、静岡浅間神社とよぶ。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728