俵沢のつづら折り茶園(静岡市葵区)
俵沢のつづら折り茶園【静岡市葵区】
俵沢のつづら折り茶園は、静岡市街地より北方向に約15km付近の一級河川安倍川の支流である大沢川右岸の山裾に広がる平均標高250m、面積約5haの段々茶園を指します。
この茶園は、その起源が500年前と伝えられ、その特徴は、野面積み(※)という工法で造成された野面石積茶園と、その茶園の中を縫うように整備されたつづら折りの道路です。
この茶園は、静岡県棚田等十選にも選定されています。
※野面積み(のづらづみ):自然石を加工せずにそのまま積み上げる工法
(静岡県HPより 抜粋)
有永古墳(静岡市葵区)
有永古墳(ありながこふん)【静岡市葵区】
静岡市葵区有永の有永古墳(ありながこふん)は、古墳時代後期に築かれた前方後円墳だとされています。
幕末の文久元年(1861年)に、浅間神社神主 新宮高平(しんぐうこうへい)が編纂した駿河国の地誌「駿河志料」(するがしりょう)では、有永古墳を小山墳と紹介。
古墳の規模は全長約49m、前方部幅約26m、後円部直径約26m、高さ約1m。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
城濠用水(静岡市葵区)
城濠用水【静岡市葵区追手町】
城濠用水は、静岡市の中心街にある駿府城外堀の集水地を起点として、市の中南部地域に広がる豊田地区、千代田地区、大谷地区の水田に農業用水を供給するための水路です。
水路は、駿府城の築城以前から存在していたと伝えられていますが、市街地を流下しているため水路の大半が暗渠化され、現在は、目にすることはできません。
この水路の特徴は、水源として、現在は駿府公園となっている駿府城址の内堀と外堀の水を利用していることが上げられます。
この堀は、駿府城築城当時から農業用ため池としての役割を担っていたといわれています。
この堀に貯留されている農業用水の水源は、市内を流れる安倍川の伏流水と鯨ヶ池(※)からの用水が主ですが、地元関係者によると、かつては、この堀に安倍川の伏流水が直接自噴していたとのことでした。
農業用水としての利用だけでなく、その景観が訪れる多くの人に安らぎを与える施設です。
※鯨ヶ池:静岡市の中心地から北に約8kmに位置する池。
鯨ヶ池伝説が言い伝えられている。
(静岡県HPより 抜粋)
茶臼山古墳(静岡市葵区)
茶臼山古墳【静岡市葵区】
静岡市葵区長沼の茶臼山古墳は、古墳時代後期に築かれた円墳です。
大刀・玉類・須恵器が出土しています。
古墳は愛宕山城東側の山頂で、中世には長沼古城(長沼砦)が築かれました。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
浮月楼(静岡市葵区)
浮月楼【静岡市葵区】
浮月楼は、かつて徳川幕府の駿府代官所があった場所です。
また、徳川慶喜が住んでいた場所としても知られ、浮月楼の門手前には徳川慶喜公屋敷跡の碑が立っています。
15代将軍徳川慶喜は大政奉還ののち、駿府代官所が置かれていたこの屋敷に明治2年(1869)からおよそ20年間隠居しました。
政治には一切関わらず趣味に没頭し、自由自適の日々を送っていたそうです。
隠居生活中、徳川慶喜が大変興味を持ったのが「写真」です。
写真家・徳田幸吉(とくだ こうきち)氏に写真撮影の技術を学び、連日のように写真撮影へ出かけていたとのこと。
浮月楼では慶喜関係の資料を見学することができます。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728