寿桂尼墓所(静岡市葵区)
寿桂尼墓所【静岡市葵区・市指定文化財】
静岡市葵区沓谷の曹洞宗 洞谷山 龍雲寺には、今川義元の母 寿桂尼(じゅけいに)の墓があります。
寿桂尼(龍雲寺殿峰林寿桂大禅定尼(りゅううんじでんほうりんじゅけいだいぜんじょうに))は、中御門権大納言宣胤(なかみかどごんだいなごんのぶたね)の娘です。
永正5年(1508年)に、守護大名 駿河今川氏7代目今川氏親(いまがわうじちか)の正室となり、3男4女を生みました。
大永6年(1526年)に氏親が56歳で死去すると、髪を切って翠光院寿桂(すいこういんじゅけい)と号しています。
(後に長膳院(ちょうぜんいん)を名乗る。)
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
駿府町奉行所跡(静岡市葵区)
駿府町奉行所跡(すんぷまちぶぎょうしょあと)【静岡市葵区】
駿府町奉行(すんぷまちぶぎょう)とは、町政全般の掌握から訴えの裁き、城下の警備、府中宿の管理など、駿府の町民生活に直接関わる広範囲な業務を担っていた老中直属の組織をいいます。
寛永9年(1632)に大手組町奉行として駿府城大手御門前に設置され、明治元年(1866)までに旗本を主に63人が町奉行に任命されました。
現在、駿府町奉行所跡の碑は、静岡市役所の北西隅にあります。
菩提樹院(静岡市葵区)
菩提樹院【静岡市葵区】
静岡市葵区沓谷の臨済宗 正覚山 菩提樹院には、市指定文化財「伝駿河国分寺の塔心礎」があります。
江戸時代の明和8年(1771年)、駿府城代武田越前守信村により駿府城三の丸城代屋敷内の社の手水鉢(ちょうずばち)として、奉納された事が刻まれています。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
小梳神社(静岡市葵区)
小梳神社(おぐしじんじゃ)【静岡市葵区】
静岡市葵区の紺屋町に鎮座する小梳神社は、奈良時代以前の由緒をもつ古社です。
祭神は建速須佐之男命、奇稲田姫命。
竹千代(後の徳川家康)が人質として駿府に来たとき、まずはこの神社に立ち寄り、服装を改め武運長久の祈願をしてから、今川義元と対面したと伝えられています。
その後、徳川家康が天下を統一し駿府城にとどまるにあたり、代々徳川家の守り神である大己貴命と天照大神の2柱を合祀して、駿府城の守護神として尊崇されてきました。
小梳神社の境内に湧き出る水は江戸時代から「霊水・少将の井」と呼ばれています。
病気平癒・健康増進の霊水として知られ、多くの人がお水取に訪れています。
由比正雪の首塚(静岡市葵区)
由比正雪の首塚【静岡市葵区】
静岡市葵区沓谷の臨済宗 正覚山 菩提樹院には、江戸幕府転覆を計画した軍学者 由比正雪の首塚があります。
慶安4年(1651年)の慶安事件(慶安の変、由比正雪の乱)で自害した由比正雪の首は、安倍川の河原でさらし首にされた後、縁者が菩提樹院に葬り五輪塔を建てて供養しました。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728