原景時親子の墓(静岡市清水区)
原景時親子の墓(かじわらかげときおやこのはか)【静岡市清水区】
静岡市清水区(旧清水市)大内の梶原堂には、鎌倉時代の正治2年(1200年)に「梶原景時の変」で敗れ、自害した武将 梶原景時親子の墓があります。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
神明山2号墳(築山古墳、神明社東古墳)(静岡市清水区)
神明山2号墳(築山古墳、神明社東古墳)【静岡市清水区】
神明神社参道東側約50mの平坦地にあった、東西約22m、南北約27mの方墳。
明治9年(1876年)頃に、銅鏡(方格規矩四神鏡(ほうかくきくししんきょう))1面、碧玉製管玉(へきぎょくせいくだたま)5点、直刀が出土して発見されました。
墳丘は消滅しましたが、周溝が残っている可能性があります。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
蒲原宿の碑(静岡市清水区)
蒲原宿の碑【静岡市清水区】
現在の行政区分では、静岡市清水区蒲原町です。
東海道は再び海岸線沿いを行くことになりますが、蒲原宿から由比宿の間は、海岸線からすぐに急な斜面が切り立っているため、宿場町も細く長く続いています。
江戸時代の歌で、蒲原宿は次のように歌われています。
「蒲原に過ぎたるもの三つある。
出入り、疫病、寺が八ヶ所」
その歌にあるように、蒲原宿には急斜面の麓に寺院が所狭しと並んでいます。
(名城・名跡記行より 抜粋)
神明山3号墳(静岡市清水区)
神明山3号墳【静岡市清水区】
昭和34年(1959年)、耕作中の畑から須恵器が出土。
(須恵器は所在不明)
昭和42年(1967年)、県道嶺神明線建設工事に伴い発掘調査が行なわれました。
古墳時代後期に造られた、横穴式石室を有する円墳です。
南向きに開口する石室は、全長約7〜8m、幅約1.3m、高さ約1.8mと推定されています。
発掘調査では、刀子、鉄鏃、小玉などが出土。
奥壁側から3mほどの床面に、径0.5〜1.0mの扁平石を敷いた棺座が検出されました。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
薩埵山古戦場(静岡市清水区)
薩埵山古戦場【静岡市清水区】
薩埵山古戦場は、東海道の要衝薩埵峠付近を主戦場として展開された戦いである。
現在は江戸時代末期の安政の大地震(1854年)によって海岸付近の地盤が隆起し、海岸に道が通っているが、中世においては山中の峠か海沿いを通る「親知らず子知らず」の難所であった。
街道を遮る様に山稜が海岸まで迫っている交通の要地である為、度々合戦の舞台となった。
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