手児の呼坂(静岡市駿河区)
手児の呼坂【静岡市駿河区】
我が国最古の東海道の大動脈だった東路は、日本坂を越えて手児の呼坂を通り、舟山を経て駿河の国府に通じていました。
平安朝の頃から宇津の山路が開けると、手児の呼坂は、丸子を経て手越・国府への道として、江戸初期東海道53次の街道が整備されるまで千余年の長い間、都と東国を結ぶ重要な官道でした。
東路の「手児の呼坂 越えかねて 山にかねむも 宿りはなしに」をはじめ、3首の万葉歌が残され、紫式部、連歌師宗長、大納言烏丸卿幾多の有名人によって多くの歌が詠まれた東路の歴史と高学を秘めた峠路でした。
(手越〜丸子 より 抜粋)