奥大谷古墳群(静岡市駿河区)
奥大谷古墳群(おくおおやこふんぐん)【静岡市駿河区】
静岡市駿河区小鹿の奥大谷古墳群(おくおおやこふんぐん)は、横穴式石室を有する古墳14基で構成されています。
丘陵斜面に築かれた墳丘が不明瞭な、古墳時代終末期(7世紀以降)の古墳群です。
13基は円墳で、残り1基は不明。
片山廃寺跡(静岡市駿河区)
片山廃寺跡(かたやまはいじあと)【静岡市駿河区・国指定史跡】
片山廃寺跡は、JR静岡駅の南東約3.5kmの有度山西麓に造られた奈良時代の寺院跡です。
昭和23年に登呂遺跡周辺調査の一環として日本考古学協会による発掘調査が行なわれて以来、境内のほぼ中央に南側から金堂(中心的建物、本尊を安置)・講堂(法要や教典の講議を行なう建物)・僧房(僧侶が居住する建物)が配置されていたこと、境内のまわりは木の柱を支柱にした板塀がめぐっていたこと、火災によって建物が焼失しその後再建されなかったことなどが分かってきました。
各施設の規模・屋根瓦の特徴・出土した土器などをもとに推定される時代から駿河国国分僧寺であるとする説や、塔が見つかっていない点や中世以降「国分寺」が今の駿府城北方に存在していたことが文献資料に見えることなどから有度郡の有力豪族の氏寺である、とする説があります。
また、南方約500mの山裾には、片山廃寺で使用する屋根瓦を焼いた「宮川瓦窯跡群」も見つかっています。
現在、金堂跡の基壇・礎石を復元・公開しています。
(静岡市HPより 抜粋)
大鈩山 誓願寺(静岡市駿河区)
大鈩山 誓願寺(せいがんじ)【静岡市駿河区】
静岡市駿河区丸子の臨済宗妙心寺派 大鈩山 誓願寺(せいがんじ)は、建久年間(1190〜1192年)に源頼朝が両親の追善供養のために創建。
誓願寺の墓地には、戦国時代から江戸時代にかけての武将 片桐且元(かたぎりかつもと)夫妻の墓があります。
紫屋寺庭園(静岡市駿河区)
紫屋寺庭園(さいおくじていえん)【静岡市駿河区・国指定名跡、名勝】
今川義忠と氏親に仕えた連歌師・宗長が永正元年(1504)55歳で草案を結び余生を送ったところです。
禅宗の影響で孤独閑寂の生活を楽しむことが流行し、宗長自身もここに京都銀閣寺を模した庭園を築き、四季の風物を眺めて暮らしたといいます。
風雅な庭園は本堂の正面はるか南方にある「丸子富士」や庭の西方にそびえる「天柱山」など美しい自然をたくみに取り入れた借景園で、庵の背景となる枯山水の庭園と合わせ、国の名勝・史跡に指定されています。
金山古墳群(静岡市駿河区)
金山古墳群【静岡市駿河区】
静岡市駿河区向敷地・手越の金山古墳群は、南北に細長い丘陵上に築かれた円墳6基で構成されています。
妙音寺境内と南側に分布しており、周辺は中世の金山砦(狩野山砦)です。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728