八幡山古墳群(静岡市駿河区)
八幡山古墳群(やわたやまこふんぐん)【静岡市駿河区】
静岡県静岡市駿河区八幡山の八幡山古墳群(やわたやまこふんぐん)は、静岡平野の独立丘陵 八幡山(標高63m)の尾根と南向き斜面に分布。
八幡山の南側には八幡神社(はちまんじんじゃ)が鎮座し、山頂付近は八幡山公園が整備されています。
八幡山1号墳(八幡山山頂古墳)は、古墳時代中期(5世紀)から後期前半(6世紀前半)頃に築かれた直径約30m、高さ約2mの円墳または帆立貝式の前方後円墳。
八幡山2号墳(八幡神社古墳)は、墳丘をほとんどもたない古墳時代後期後半の横穴式石室墳。
明治22年(1889年)、八幡神社本殿新築の際に発掘され須恵器、勾玉、丸玉などが出土。
この地域を支配していた豪族 有度郡牛麻呂(うとべのうしまろ)の墓とする伝説あり。
八幡山3号墳は、丘陵南西端の山麓に築かれた古墳時代後期末の横穴式石室墳。
戦前まで、18基の古墳があったといわれています。
丸山古墳(宮川1号墳)(静岡市駿河区)
丸山古墳(宮川1号墳)【静岡市駿河区】
古墳時代後期前半(6世紀後半)に築かれた、一辺約20m、高さ約3.5mの方墳。
1959年(昭和34年)8〜9月に、発掘調査を実施。
主体部(埋葬施設)は、全長9.7mの両袖式横穴式石室。
石室内で家形石棺(いえがたせっかん)と組合式箱形石棺(くみあわせしきはこがたせっかん)が見つかり、多くの副葬品が出土。
有力者だけが使用したとされる家形石棺が見つかった、静岡県内では珍しい合葬古墳です。
北川殿の墓(五輪塔)(静岡市駿河区)
北川殿の墓(五輪塔)【静岡市駿河区】
静岡市駿河区向敷地の曹洞宗 大窪山 徳願寺には、駿河国守護 今川義忠(いまがわよしただ)の正室 北川殿の墓(五輪塔)があります。
北川殿は、今川義元の祖母です。
奈良時代の養老元年(717年)、徳願寺は真言宗の寺として創建。
室町時代の長禄2年(1457年)、北川殿によって曹洞宗に改宗。
北川殿は、室町時代の享禄2年5月26日(1529年7月11日)に死去しました。
手児の呼坂(静岡市駿河区)
手児の呼坂【静岡市駿河区】
我が国最古の東海道の大動脈だった東路は、日本坂を越えて手児の呼坂を通り、舟山を経て駿河の国府に通じていました。
平安朝の頃から宇津の山路が開けると、手児の呼坂は、丸子を経て手越・国府への道として、江戸初期東海道53次の街道が整備されるまで千余年の長い間、都と東国を結ぶ重要な官道でした。
東路の「手児の呼坂 越えかねて 山にかねむも 宿りはなしに」をはじめ、3首の万葉歌が残され、紫式部、連歌師宗長、大納言烏丸卿幾多の有名人によって多くの歌が詠まれた東路の歴史と高学を秘めた峠路でした。
(手越〜丸子 より 抜粋)
曲金北遺跡(静岡市駿河区)
曲金北遺跡(まがりかねきたいせき)【静岡市駿河区曲金】
静岡市駿河区曲金の曲金北遺跡(まがりかねきたいせき)は、奈良時代から平安時代前半(8世紀初頭から10世紀初頭)の古代東海道です。
平成6年(1994年)、JR東静岡駅南口の県立複合文化施設グランシップ建設に伴う発掘調査を実施。
長さ約350mにわたって、両側に側溝が整備された直線道路が見つかりました。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728