金沢手城山(裾野市)
金沢手城山【裾野市】
かつて高さ25mほどの丘が存在し頂部に祠が祀られていたそうです。
現在は農地。
地名の手城というのは出城の転訛であり、葛山城の出城があったと考えられます。
参考 裾野市史
柏木屋敷跡(裾野市)
柏木屋敷跡(かしわぎやしきあと)【裾野市】
柏木屋敷は背後に川を控え、四方に土塁と水堀を巡らし、中世土豪の屋敷の形態を現在も保っています。
虎口は西方に向かって設けられ、土塁は南方において高さ1.5m余りを有します。
屋敷に代々居住した柏木氏は、茶畑に鎮座する浅問神社の神職を努め、天文20年(1551)あるいは同21年頃、葛山氏から神領を安堵され、また勧進を受け、国人領主の庇護下にあったことが、古文書によってうかがい知ることができます。
(裾野市HPより 抜粋)
御宿屋敷(裾野市)
御宿屋敷【裾野市】
御宿氏は葛山氏とは同族で大森氏の一族であります。
屋敷が葛山館の南、大久保川を挟んだ中村地区の丘陵麓で現在は農地と民家が建つ辺りと思われます。
宗祇の墓所(裾野市)
宗祇の墓所(そうぎぼしょ)【裾野市・市指定史跡】
所在地
裾野市桃園154
指定日
昭和51年3月24日
飯尾宗祇(いのおそうぎ)は室町時代に諸国をめぐった連歌師です。
関東をめぐる道中、箱根の地で病によって亡くなりました。
享年81歳でした。
弟子たちは遺言により宗祇が生前こよなく愛した富士山麓へ篭(かご)に乗せて遺骸を運び、その日の夕刻、ゆかりの地である定輪寺に葬ったとされています。
(裾野市HPより 抜粋)
葛山かくれ城(裾野市)
葛山かくれ城【裾野市】
葛山城の西、大久保川の上流に構えられた小規模な山城。
かくれ城と称されますがまさにその名の通りの立地で、葛山氏のかくし砦という伝承があります。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728