葛山氏居館址(裾野市)
葛山氏居館址(かずらやましきょかんし)【裾野市葛山・市指定史跡】
葛山氏館が建てられたのは鎌倉時代と言われている。
東西南北それぞれ100m四方の規模を持ち井戸が2つある。
土塁の規模や館敷地周囲を囲むように掘られた堀の形態はもっと時代が下るもので、
おそらく室町時代後期、戦国の乱世が最も激しくなった頃だと思われる。
鎌倉期に構えられた単郭方形館だが、時代に応じて改変を続けたと考えられる。
(http://members.jcom.home.ne.jp/kaskoba/22_007.htm参照)
大森居館(裾野市)
大森居館(おおもりきょかん)【裾野市】
鎌倉時代の初め藤原親康が、この大森郷に住し以後歴代大森氏を称したという。
ここは大森氏の本據であったらしい。
居館は箱根山西麓末端が、裾野市深良地区で泉川によって切断され、高雄山(通称天神山)という独立の丘陵となるが、この丘陵の東南脚部に抱れた「堀之内」に位置する。
現在は地名のみで遺構は何もない。
堀之内の南に接して南堀という小字があり、ここに興禅寺という寺院がある。
この背後は高雄山から南へ連続する長さ250mの低丘陵となっているが、高雄山とは切通しで切断され、頂部は方40mの平坦地で、土塁が三方に残り、西側には三段の平場があって、なお丘陵脚部には帯状平場がめぐっている。
また興禅寺は居館としての位置にふさわしい。
本寺は寺記によれば観応年間(1350〜52)の創建といい、大森氏に関係が深い。
後に応永23年(1416)、禅秀の乱に足利持氏が大森の館を頼ったというのは、ここではなかろうか。
この遺構のある丘陵は後に江戸時代稲葉氏が陣屋を置いたという。
さらに堀之内の北側背後の丘陵を、通称大森山、また大森氏の守護神天神祠があるので天神山ともいう。
ここに大森城があったとするが遺構は何もない。
またこの山の西側脚部に西安寺があり、大森氏を開基とする。
本寺も大森氏居館というが、遺構はない。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)
景ケ島溪谷(裾野市)
景ケ島溪谷【裾野市葛山】
景ヶ島渓谷は、黄瀬川の支流佐野川にあり、集塊岩や溶岩流が浸食された奇景に富む渓谷です。
名勝に指定された区域は、上流の宮川橋下から屏風岩に至る約800mの範囲で、景ヶ島とその周辺には様々な姿をした奇岩や渓流が多いです。
(裾野市HP 参照)
西島屋敷(裾野市)
西島屋敷(にしじまやしき)【裾野市】
裾野市千福の谷津川(佐野川)が大きく紆曲する、東岸崖上に位置する。
方60mあり、南側及び北側の一部に土塁が残存する。
小字名を台といい、屋敷前面に前ノ田の地名が接続する。
中世土豪の屋敷であろう。
千福城と大畑城の中間にある。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)
旧植松家住宅(裾野市)
旧植松家住宅【裾野市千福】
源頼朝が富士の一帯で巻狩りを行った際に尾張国津島(愛知県)から当地に移住した一族を起源とする植松家の住居であったものです。
建築手法から江戸時代(18世紀より前)の豪農(農家の名主)の家の構造を維持しているといわれています。
また、静岡県東部地域の古民家のなかでも保存がよく貴重な建物です。
(裾野市HP より抜粋)
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728