大森城跡(裾野市)
大森城跡【裾野市】
大森氏は起源は平安時代末期の藤原北家関白道隆まで溯り、子孫の藤原親家は源頼朝に仕えて鮎沢荘大森郷に土着、大森姓を称したのが始まりだという。
大森氏は南北朝時代以後、周辺の土豪を支配下に組み入れ、箱根権現の別当職を手に入れるなど着実に勢力拡大を果たしていった。
また上杉禅秀の乱(応永23年・1416年)においては鎌倉公方足利持氏を庇護、その功によって西相模進出を果たすことになる。
十五世紀後期、大森氏頼の頃には最盛期を迎え、太田道灌とともに名将として名を馳せたが、氏頼の子藤家の代になって伊豆より侵出してきた伊勢新九郎長氏(北条早雲)の奇計により小田原城を奪われ、以降、没落の道を歩むことになる。
裾野市深良字城ヶ尾