大森居館(裾野市)
大森居館(おおもりきょかん)【裾野市】
鎌倉時代の初め藤原親康が、この大森郷に住し以後歴代大森氏を称したという。
ここは大森氏の本據であったらしい。
居館は箱根山西麓末端が、裾野市深良地区で泉川によって切断され、高雄山(通称天神山)という独立の丘陵となるが、この丘陵の東南脚部に抱れた「堀之内」に位置する。
現在は地名のみで遺構は何もない。
堀之内の南に接して南堀という小字があり、ここに興禅寺という寺院がある。
この背後は高雄山から南へ連続する長さ250mの低丘陵となっているが、高雄山とは切通しで切断され、頂部は方40mの平坦地で、土塁が三方に残り、西側には三段の平場があって、なお丘陵脚部には帯状平場がめぐっている。
また興禅寺は居館としての位置にふさわしい。
本寺は寺記によれば観応年間(1350〜52)の創建といい、大森氏に関係が深い。
後に応永23年(1416)、禅秀の乱に足利持氏が大森の館を頼ったというのは、ここではなかろうか。
この遺構のある丘陵は後に江戸時代稲葉氏が陣屋を置いたという。
さらに堀之内の北側背後の丘陵を、通称大森山、また大森氏の守護神天神祠があるので天神山ともいう。
ここに大森城があったとするが遺構は何もない。
またこの山の西側脚部に西安寺があり、大森氏を開基とする。
本寺も大森氏居館というが、遺構はない。
(城と戦国浪漫HPより 抜粋)