宗九郎の墓(焼津市)
宗九郎の墓
【焼津市】
焼津市(旧志太郡大井川町)上新田には、徳川家康の馬具を修理した鍛冶 宗九郎の墓があります。
安土桃山時代の天正19年(1591年)、徳川家康が入洛の途中にこの地で鷹狩りを行いました。その際壊れた馬のくつわを、鍛冶の宗九郎に修理させています。家康は褒美として、鍛冶屋敷のうち100坪を免租地としてあたえる事を約束。そして、お供をしていた領主掛川藩主山内対馬守一豊から、鍛冶屋敷100坪を扶助する判物が、宗九郎に下されました。
(静岡県の遺跡・古墳・城跡ガイド より抜粋)
静浜村外二ヶ村組合立静浜高等小学校跡(焼津市)
静浜村外二ヶ村組合立静浜高等小学校跡
【焼津市・市指定史跡】
静浜高等小学校は明治22年に志太・益津郡高等小学校の分校として開設。同39年に静浜村ほか二村の組合立高等小学校となりましたが、同41年、改正小学校令により廃校となりました。
(焼津市観光協会HPより 抜粋)
徳川家康公床机据え跡(焼津市)
徳川家康公床机据え跡
【焼津市・市指定史跡】
焼津市宗高の代官屋敷は、徳川家康が鷹狩の際に立ち寄り、庭に床机を据えて小休止をされたと伝えられています。現在、屋敷地は北西隅に「宗高権現」と囲い土手の一部を残すに過ぎないが、家康との関わりを知る数少ない貴重な史跡である。
(焼津市観光協会HPより 抜粋)
小川城遺跡(焼津市)
小川城遺跡
【焼津市】
焼津市西小川3~6丁目付近は、古くから「法永長者屋敷跡」と言い伝えられてきました。
「法永長者」とは、今川氏歴代の年代記「今川記」に出てくる「駿州山西の小河の法永」のことで、今川義忠(1436~1476)が急死し、今川氏の相続争いが生じた時に、伊勢新九郎長氏(後の北条早雲)を介し、義忠の正妻北川殿と義忠との子竜王丸(後の今川氏親・1473~1526)を保護した人物です。その後法永の子孫(長谷川氏)は今川氏の家臣となり、今川氏滅亡後は徳川氏に仕えたと伝えられています。
昭和54年(1979)からの、小川地区遺跡群の発掘調査により、屋敷の周囲に堀をもつ本格的な中世屋敷跡が見つかりました。調査の結果、屋敷跡の周囲にも多くの建物跡が広がり、下層には古墳時代や平安時代の遺構もあることがわかりました。現在は遺跡全体を「小川城遺跡」と呼んでいます。
日本坂峠(焼津市)
日本坂峠
【焼津市】
静岡市小坂と焼津市花沢を結ぶ日本坂峠越えの道は、奈良時代の官道でした。峠の名前の由来にもなった日本武尊が東征のおり通った道とも言われ、峠には日本武尊が賊に襲われたときに、隠れたと伝えられている穴地蔵もある。
浜松店053-453-6541
静岡店054-251-1728